マルシル基の日基

出来事に対する未熟な所見を垂れ流し。不定期

雑記:夢

こんにちは。

 

今までは長々と僕の精神にダメージを与えた出来事について書くというスタンスだったんですが。これからはそういうときもあればこういうときもある、という形で雑に更新していきます。

 

夢です。「将来の夢」の「夢」ではなく、睡眠時に起きる現象のほうです。

僕はこの間、友人に「幼女戦記」なるサブカル臭が半端ないネット小説上がりのライトノベルを借りたんですけれど、これから長期休暇が来るため、できるなら友達が持っている分すべてを借りたいと思っていたんです。

とりあえず一巻だけを持ってきてくれた友人には同時には一冊しか貸さないという信条があるのかもしれないと思い、自分から「借りれるなら全部借りたいんだけど」と言って雰囲気を壊すようなことはできませんでした。

でも長期休暇に入る前に借りておきたいというモヤモヤはずっと残っていたんです。

ここで夢の話なんですが、夢の中で、僕はその友人に「借りれるなら全部貸してほしい」とお願いして、やんわりと断られちょっと気まずくなってしまった場面があったのです。あまりに現実と似通った状態での場面だったので、起きてからもずっと僕は断られた気分でした。友人との関係が少し気まずくなることを恐れて躊躇した僕に夢でその状況を的確に補完してきたわけです。気まずくなった時の雰囲気を僕に体験させた上に、躊躇したことで気まずさから逃げた僕をしっかり気まずくさせてたんだということで不安ないしネガティブな感情というものはやはり夢などに直結するということを強認識させられました。今それが夢だったことに気づいて雑記として書き始めたわけなんですけれどね。ちなみに頼んではないですけれど断られた時の雰囲気を夢で知ってしまっているので、それが夢のなかで起こったことと分かっていてもしっかり頼みをためらう気持ちが残っています。もはや呪いですね。

以上です。

「8×7+17=73を不正解とした教師」

どうも、初めまして。マルシル基です。

僕が書くつもりのブログには、凝った演出をする予定はとくにありません。

あしからず。

 

さて、今Twitterなどで、

「小2算数で8×7+17=73を不正解とした教師」が炎上しまくっているようですね。

 

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この画像ですね。

小学校2年生の宿題として出されたもののようです。

「1ふくろ 8こ入りの チョコレートが 7ふくろと、ふくろに 入っていない チョコレートが 17こあります。ぜんぶで チョコレートは 何こありますか。」

 

間違いなく、

8 × 7 + 17 = 73

が正解だろうように思えます。

 

ですが、この教師は他生徒の

8 + 7 + 17 = 32

という答えを正解とし、73という答えを不正解としたのです。

 

それを親がおかしく思い、理由を教師に聞いたところ

「まだ習っていないかけ算を使っているため、不正解とした」

とのこと。

親はそれをTwitterで晒しあげ、見事炎上し、この教師はやたらめったら叩かれているということですね。

 

 

この理由、何がいけないんでしょうか?

 

 

この教師の明らかにいけない部分は、

・問題が「かけ算の重要性を知るため」のものであること

・「かけ算を使ってはいけない」というような注意書きがない

「なにこれ?」というバカにしたニュアンスを感じる指摘。そして何がいけなかったのかは書いていないこと

・「8 + 7 + 17 = 32」が正解となっていること

 

これは、皆様が感じている教師という聖職者、その理想像からは考えられないことですね。

我々は、教師に、公正さや、きっちりとした(採点)基準などを求めてしまいがちです。

 

ただ、よく考えていただきたい。

宿題を、まだ習っていない方法で解いてきたわけです。

自分の家族に教えてもらったと捉えられてしまうのも、わからないことではありません。

 

もちろん、塾やベネ〇セなどで先の予習をしていてかけ算について知っていたりする小学生は多いでしょう。

また、知らないであろう解法を用いることを認めない教師の狭量を責めているのだという人も多いだろうと思います。

先に書いた、「教師」の概念的な理想像から離れている、と。

 

それは、どの職業でも同じことであるはずなのです。

僕は学生です。様々な教師と日々接することを強制されていますが────

 

公正でなく、自分勝手な教師などいくらでもいるのです。

程度こそありますが、顧客(教師の場合、生徒)よりも自分の都合を優先するという人が多いのです。

どのような立場の人でも、自分を優先していない人などいないでしょう。

炎上しているのは、自分の常識から見て完全なる悪であるから、寄ってたかって叩いているようですが、自らがその立場になり得るということに気づくべきなのです。

 

叩き方も、ここでは示すことはしませんが、ひどいものばかりです。

 

「人の振り見て我が振り直せ」。

 

これこそがこの事件から我々が得るべき教訓ではないでしょうか。

 

 

(若輩ゆえ、時がたつとまったく違う思想になるかもしれません。

また、これのみが正しいと、すべての人間がこう考えるべきなどと考えていません。

いち個人が、今このとき考えているだけのものですので、ご理解ください。)